まき #1「セックスは好きじゃないけど」
もう覚えていませんが、相当に小さな頃から、映画やドラマの「そういうニュアンス」の シーンが大好きでした。 これまでの経験は、縛られたり、オナニーの強要。 ドライブ中にノーパンでいさせられた事もある…。 自慰するとき、圧倒的な力でねじ伏せられて、めちゃくちゃにされる所を想像しがちです。 セックスは本当言って好きな方じゃないんです。途中で面倒になってしまって…。 もちろんイッた事もありますし、つまらなかった事ばかりじゃないんですけど。 没頭できないし、すぐに現実に引き戻されてしまって、嫌になってしまうんです。 半年くらいしなくても、全然平気な自分って、多分精神のバランスが崩れているんだろうな…と思います。 オナニーも同じです。すぐに醒めてしまって、「や〜めた!」って感じです。 それでも、精神的には完全にMです。それ以外の何者でもありません。 …そういう自分て、結構めちゃくちゃだな…って思います。 信じないかも知れないけど、私も性行為自体には淡白なんだよ。(笑) 無論、嫌いじゃないんだけど、射精するだけの行為ならちょっと虚しい気がする。 だから風俗通いする同性の心理が、正直言って私には理解できない。なんて書くと 読者諸兄からひんしゅく買うだろうか。まぁ、これは まき のそれとは意味が違う んだろうけど。(苦笑) それでも「精神的には完全にMです」って言い切るところを見ると、縛られたり強制 自慰させられたりしたときの自分を振り返ってそう感じるのかな。それとも別の何か があるのだろうか。興味あるところだね。よかったら教えてくれないかな?
まき #2「精神的(プラトニック)M」
私のメッセージに対するお返事を下さり、ありがとうございました。 私が「精神的にMである」と断言した理由付けを、実はずっと考えていました。 なんだか上手に表現できず、少なからずもどかしさを感じるのですが、 多分、この事は私の中の全ての分裂に通ずる所だと思います。 精神論…または哲学的になってしまうかもしれませんが、 一生懸命言葉に変えてみようと思います。 私はセックスがあまり好きではないと書きました。 でも、それは実際的な行為に及んだ場合の事です。 もっと深く掘り下げて見れば、普通の顔をして日々の暮らしをしたり、 職場で仕事をこなしている間も、頭の中では、セックスの事をずっと考え続けて いることもあります。 実際にあったこと、実際にはありえないこと… とりとめもなく、セックスのイメージばかりが湧いてきて、 しかし、私はそれに欲情する事もなく淡々と見つめているのです。 それは何故でしょう。…多分、セックスに関する全ての事が、 私には「プラトニックな事」だからではないか…と、最近になって思い至りました。 …変ですよね。一般論としては、肉体的な行為はプラトニックではありえません。 そして、そう感じているのは私の感情と精神とイメージだけの話であって、 私の体は「プラトニックなセックスなんて、サイズがぴったりの靴より出会いにくい」 って事を、ちゃんと知っているのです。 知っているから、セックスをしようという気持ちになる事もありますし、 オナニーをしたいと感じる事もあるのです。 でも、心が体についていけない…。 私の中で体以上に力を持っているのは、心です。 体は結局心の言う事を聞かざるをえないのです。…でも。 それはバランスがとれていない、不完全にすぎる私の問題点です。 心が強く、完全に近ければ近いほど、私はとても苦しくなります。 「縛られ、服従する事」は「強引な程の力で、心をねじ伏せる事」と言い換える 事ができます。多分、私はそうでもしなければ、体と心の間にある大きな落差を 埋める事ができない…と思うのです。 私の心が強固な砦を作って、中で大切に守っている物の姿は、本人である私自身 には決して見る事はできません。でも、砦の中にこそ、多分私の無防備な姿があ るのだと思います。Mは、私にとっては「プラトニックの極致」であり、また、 「私を救い出してくれるもの」であると、ずっと感じて来たのだと思います。 私の砦を壊し、その瓦礫で心と体の間の大きな溝を埋めて欲しい…。 …Mの方って、結局ここに行き当たるのではないのでしょうか? 私だけの、特別な理論なのかもしれませんが。 …だからMとは言え、実際的に痛みを伴う行為や、傷を伴う行為は、 多分私には馴染まない事なのだと考えます。 縛られるのは好きです。心も一緒に縛ってもらえるならば。 私にとってのセックスなんて、多分手段の一つでしかなかった様な気がします。 「この人を知りたい」と思った相手なら、特に「愛して」いる訳でもない相手とでも、 私はセックスをして来ました。結婚してからも。 セックスは「相手を知る」事の一環でしかないからです。 私にとっての「特別な事」は、セックスの先にある「プラトニックM」が相当します。 理論的にはこんなふうに形をつけられますが、 たくさんの「私以外」の人達が、スムーズにセックスをし、 存分に感じたり多分に想像に浸ったり、没頭してのめり込めるのを、 私はとてもうらやましく思います。 私には何故、それが出来ないのだろう…と、初めてセックスしたその時から、 実はずっと悩んでいます。 …長くなってしまいました。ごめんなさい。 でも、これが私が「精神的(プラトニック)Mである」という根拠です。 プラトニックなMなんて、プラトニックなセックスよりずっとあり得ない …なんて、言われてしまいそうですが…。 早速の返事ありがとう。所用でレスが遅れたから、もう見てくれてないかなって 心配してたよ。 ところで、やっぱり まき は、自分の内面を色々と見つめていたんだね。思うに SMっていう行為を、心の仮面を剥がして裸の心を見せること、そしてそんな無 防備な心を縛り上げること、と考えると まき の言うことが理解できる気がする よ。ただ、SMを「行為」そのものより、むしろ精神的なものと捉える人たちは 思ったより多いんだ。だからきっと まき の言うことに賛同する人もいるはずだ し、「私だけ?」なんて、卑下することはないと思うな。少なくとも私は共鳴で きるし、まき の考えを聞いて共感してる女性読者だっていると思うぞ。何てっ たって「プラトニックなM」って言葉の響きが素敵だと思う。;-) さて、余談だけど、まき と私は実は同年齢だよ。住んでる所は東西離れてるけど、 そういう意味でも(同世代として)理解しあえる部分が多いと思うな。また色んな 考え・意見を聞かせてほしい。では。